大人が嫌いだった ・・・

私は、世の中の「当たり前」「常識」が大っ嫌いでした。
一体何が当たり前?何が常識?と思っていました。
常識、常識と言っている大人が常識外れなことばかりしています。
思ってることや言ってることが異なっていなかったり
そんな理不尽な大人が嫌いでした。
大人の言うことは、聞かなかったです。
だから私は、世間では出来損ない・役立たずだと思われてきました。
大人は、自由を奪う、子どもの為だと言いながら自分の価値観を押し付けてくる生き物だと思っていました(笑)

 

どうして、自由にさせたくれないの?


どうして、常識だからといって縛るの?


どうして、みんなと同じじゃないといけないの?


どうして、人と比べるの?


どうして、私たちを信じてくれないの?


どうして、嫌な方ばかり見るの?


どうして、大人は、幸せに見えないの? 下を向いている人ばかり…


どうして、大人は、平凡な人生が好きなの?


どうして、良い学校・良い会社に行かないと幸せになれないの?


どうして、したいことをさせてくれないの?
どうして、応援してくれないの?


どうして、可能性を見せてくれないの?


小学生の頃から思っていました。
でも、誰も私が納得する明確な答えてくれる人はいなかったです。
「将来の為になるから」「今は、子どもだからわからない」と正論ばかり言う大人しかいなかったです。
私たち子どもだって一人の人間!
私たちだって選択する義務がある!

 

今ならなぜ、私が嫌いな大人たちがいるのかの理由がわかります。
『教師と反教師の法則性』のことを20歳のときに知りました。
私が嫌いだった大人は、反面教師を演じてくれていました。
教師になる私たちの為に…


一枚の紙があるとします。その紙のどちらかを表と決めた時点で裏ができます。
そのようにこの世界では好きがあるから嫌いがわかります。
最低な大人がいるからこんな大人には絶対になりたくないと思い、絶対に良い大人になるという人が現れます。
なら、最低な大人がいるから私は、子どもの気持ちがわかるようにもなれたし、こうやって何か、人の為にしたいと思えるようになりました。
そのことを知ってから私は、嫌いだった大人のことが徐々に好きになることができるようになりました。


大人は、子どもを縛る、自由にさせてくれない最低な大人ばかりだと思っていましたが、
そのことを知り、どんな形でも私たちに愛を注いでくれているんだということに気づきました。
そのことを知ってから人を責めるのをやめました。


大人なんだから「こうするべき」と私も大人と同じことをしていました。
同じことをして初めて、大人の気持ちがわかりました。
私たちが反抗することや暴言をはくことにも理由があるように、大人にも理由があるとわかりました。

このことを知らなかったら私は、ずっと人を責めていたと思います。
一番嫌いな大人になっていたかもしれないぐらい性格も行動も20歳まで荒れていました。
20歳までの私は、一言で表すと本当に「やばい」やつでした(笑)


人が嫌いで嫌いでどうすることもできませんでした。
感情のコントロールができなくて、ちょっとしたことですぐキレていました。
物を投げたり、手を出したりもしていました。
そんなことをしていたから、友達もいなくて家族にも嫌がられていました。

 

成人式のときにも誰からも声をかけてもらえず、独りぼっちだった…

その姿を俯瞰的に見たときに、友達もいない家族にも嫌がられている…
このままだったらやばい!「なにがなんでも変わらりたい!」と決断することができました。


その頃から、感情のコントロールや物事の捉え方について勉強するようになりました。
まともに学校の勉強などしたことないの、必死に勉強しいました。
感情のコントロールや物事の捉え方とか、難しいと思う方が多いと思うかもしれないですが、全然難しくないんです★
小学生がわかるぐらい簡単です!!
じゃないと、私がわかるはずがありません(笑)


学んだことを実践していき、3ヵ月で人が好きになり、人と話せるようになりました。
どん底の成人式からもう2年半が経ちます。
昔の私を知ってる人がびっくりするぐらい「変わったよ!」と言ってくれます!
自分でも変わったと思えるぐらい、人生180度良い方向に変わりました★